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ジェンダーバイアスは見えにくい [あれこれ]


東芝対WD、迫る審問 勝負占う「訴訟弁護士」 という日経の記事。

「WD側とのやり取りは当初、同事務所の東京オフィスの女性弁護士が窓口となっていたが、東芝が7月3日に裁判所に提出した反論書の内容から現地チームの顔ぶれも明らかになった。」
この「女性弁護士」という表現に違和感を感じる。「女性」をつける必要があるのか?新聞記者は限られた字数でいかに効率よく伝えたい情報を盛り込むかに苦心している。この「女性」は、モリソン・フォスタ-という外資系法律事務所の窓口弁護士のことだが、それが女性か男性かでどんな違いがあるのか。わざわざ書かなければならないことか?同じ記事の他の弁護士が「男性弁護士」でないのははぜ?それよりも、その弁護士は、日本法の弁護士なのか、外国法の弁護士なのか、アメリカ法の弁護士なのか、そちらの情報の方が重要ではないのか?少なくとも私だったら、そっちを知りたい。
こういう疑問をもしこの植松正史という記者にぶつけたら「差別的な意図はない」とか「むしろ女性弁護士が重要案件に活躍していることを言いたかった」と答えるだろう。しかし、ここにジェンダーバイアスがある。「女性弁護士」は非重要案件のみに携わっているという前提があるから、「女性」をつけたくなる。あるいは、弁護士は男性の仕事という大前提すらあるのかもしれない。
多くの人はこの「女性弁護士」の記述をスルーするだろう。新聞記事で、女性・男性の記載は多数ある。例えば、犯罪被害者や女性か男性か。これは匿名であっても性別自体が価値のある必要な情報だからだ。しかし、東芝WDの訴訟案件について、関与している弁護士が男性か女性かという情報にどんな価値があるのか理解に苦しむ。日経には、ジェンダーバイアスについて記者教育でもしてもらいたい。

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